六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第31回 「武韜12、三疑篇1、敵を強大にして自滅さす」


六韜の二巡目、始めました。
まずは現在は二つ目の武韜に入っております。

『六韜』二巡目
31回
武韜12 三疑篇1


「武」という章題を持つのに内容は敵国を内部崩壊させるための工作が大部分だった武韜。
六韜の場合は章題に関係なく、
文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜と、
後に行くごとに戦場に近づいていくということで、
武という章題に内容は何も関係ないってね。
ついつい忘れてまいます。

今回から三疑篇に入ります。
これが武韜内最後の篇となります。

これまで文王が太公望に質問してきましたが、
ココでは文王の後を継いだ武王が太公望に質問します。
以降・・・質問は全て武王になるんだっけかな。

武王の質問、
「予(われ)、功を立てんと欲するに三疑(さんぎ)あり。
 力(ちから)、強(きょう)を攻め、
 親(しん)を離(はな)し、
 衆を散ずること能(あた)わざるを恐(おそ)る。
 これを為すこと奈何(いかん)
殷打倒に動きたいけども三つのことが出来るか不安。
強大な敵を力攻めできるか、
敵国中枢への離間工作ができるか、
敵の民衆に敵の王を見限らせることが出来るかどうか、
できなかったらどうしよう。
どうしたら出来る?

これが呉起ィさんなら、
お前これまでの話聞いてたか!?
と怒鳴る展開がありそうなものの、
質問してきたのが新たに王になった武王であるということで、
前回の順啓篇に続き、
文伐篇のおさらいのようなことがココでも言われ・・・。

三疑篇1 抜粋1 ・・・
・・・・・・
(ぼう)を慎(つつし)み財(ざい)を用(もち)う。
・・・・・・
謀略を仕掛けることは控えて、
まずは買収のために財力を使う。

謀略ではなく、
先に資金を利用する。
モチロン買収工作のためであり、
なおかつ文伐十二節のように敵国を内部から崩壊させるため。

文伐十二節では主な工作対象として敵の王とその下で働く臣下たちを中心に語られ、
前回の順啓篇ではその工作をやりながらコチラはもう一つやるべきことがあるとされ。
そして、
三疑篇では、
それらの買収工作について、
いかなる事態を目指すかということが語られており。

三疑篇1 抜粋2・・・
・・・・・・
(きょう)を攻(せ)むるには強を以(もっ)てし、
(しん)を離(はな)すには親を以てし、
(しゅう)を散(さん)ずるには衆を以てす。
・・・・・・
強大な敵を攻めるには敵の強大さを逆用する。
敵中枢の要人のつながりをバラバラにしたいならその親密さを逆用し、
敵国の民衆が敵国の王を見放すようにするには敵の王を慕う民衆を利用する。

国の強大な力・・・強大な軍隊、
結束力の高い敵国政府中枢、
国の総力を示す敵の王と民衆との良好なつながり。

なんのために買収工作を仕掛けるかと言えば、
これら三つを打ち崩すため。
そして、
買収工作によってどう打ち崩すかと言えば、
敵国が持つそれら三つの力でもってその三つを打ち崩させる・・・。
日本式に言えば、
相手の力を使って相手を倒すという「柔よく剛を制す」みたいな話で。
買収工作の目指すところはそれだと
・・・出来れば文伐篇の前に聞きたかった話だなあ、
なんてね、
今さらながら思います。

今回は強大な軍隊を打ち崩す話のみを紹介。
敵の強大な軍隊が持つ強大さを利用してその強大さを打ち崩すとはどういうことか・・・。
とりあえず、
力攻めを前提とした時点で武王の問いは間違ってるものの、
そこまでピンポイントでのダメ出しはしていない。

三疑篇1 抜粋3・・・
・・・・・・
それ強(きょう)を攻(せ)むるには必ずこれを養(やしな)いて強(つよ)からしめ、
これを益(ま)して張(は)らしむ。
(はなは)だ強(つよ)くば必ず折(お)れ、
太だ張らば必ず欠(か)く。
・・・・・・
強大な敵を攻めようとするのなら、
攻める前に必ず敵に資金を送りより強大な存在にし、
組織的に維持できる限界を超えさせる。
あまりにも強くなり過ぎれば無理が出て柱が折れ、
組織的な限界を超えれば目の届かぬところが出てくる。

敵に金を送りまくって、
軍隊をより強大なものにさせまくって、
自滅を待つ・・・。

最高潮は衰退と滅亡の始まり、
というのは歴史法則の一つとして語られることが多く、
その最高潮をコチラが支援をしまくることで急激に迎えさせて、
衰退と滅亡を早めさせる・・・。

老子式に言えば、
ということと同じで。

文伐十二節の中で、
王を調子付かせる手法のうち、
軍事面を強調させることでもあり。

軍隊は一度大規模になれば維持するだけでも莫大な資金が必要になり、
通信や補給に代表されるように、
経済・技術・生産の限界が規模を決める組織だけあって、
それらの力がかなり小さかった中世・古代にあって、
その限界を超えるほどに巨大な軍隊を作ってしまえば、
完成したその時からロクなことにならない。

維持することに汲汲となれば毎年多額の税金を食っていく、
軍そのものが自力で何とかしようとしたら国防を超えた戦争を展開することを望むようになり、
巨大な組織となってしまえば王や将軍の目の届かぬところで私服を肥やす将校兵士は当然出てくる。
ことに補給は現地調達という趣が強い古代・中世の時代だと、
各地で自国の民衆からエゲツナイレベルでの略奪をやらかし目に見えない敵を増やし、
さらには国の税収すら減らしていくことすらある・・・。

国の強大さを示すはずの軍隊が、
強大な国を食いつぶしていく・・・。
これが、
「強を攻むるには強を以て」
ということで。

コレと真逆の主張をしていたのがニッコロ・マキャベリで。
ニッコロさんの場合は君主論において敵を自ら強化する者は滅ぶ」ということが語られており、
金で何とかしようと敵に金を払ったり、
味方にしようと中立勢力に金を払っていると、
それらが強大になってコチラを滅ぼす勢力となってしまうぞ、
という警告で。

ニッコロさんの主張と六韜を比較して言うなら、
前提にしている環境が大分違うわけで。
六韜においては強大な敵とコチラと他有象無象という舞台設定を前提にしているのに対し、
ニッコロさんの場合はフィレンツェを囲む同等の半島内勢力とそれ以外に半島外の独仏西という超強大な勢力が多数いるという、
振り回される環境の桁が違い、
その前提からコチラが有する相対的な経済力の地位も違い、
プレイヤーの中でそれなりに強い上に経済力は有数、そして全体の把握も可能なのが六韜で、
経済力は抜きんでる存在ではなくなり既に翻弄されるがままの状態になっていたのが君主論で。
また、
その場しのぎの他勢力への支払いということが多かった上に自国の軍事力もほとんどなかった君主論内のフィレンツェに比べ、
相手を滅ぼすことを目的としての資金援助な上に自国の軍隊もしっかり用意していることを前提とするのが六韜内の周(西伯)で。

次回も三疑篇の話が続きます。


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