六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第30回 「武韜11、順啓篇、裏の敵への工作と表の宣伝」


六韜の二巡目、始めました。
まずは現在は二つ目の武韜に入っております。

『六韜』二巡目
30回
武韜11 順啓篇


予想以上に長くなりました文伐篇がようやく前回で終わりまして、
今回はその次の篇、順啓篇に入ります。

文王からの問いは
「如何(いか)にして以(もっ)て天下を為(おさ)むべき」
という、
これまたザックリな質問。
こんな大雑把な質問されたら質問を返してもっと具体化していくのが言葉のキャッチボール。
モチロン六韜でそこまで気をつかわれてるわけもなく。

太公望の答えは、
前回まで続いた文伐十二節の裏返しのような内容に・・・見えなくもない?

順啓篇 抜粋1・・・
太公(たいこう)(いわ)く、
「大(だい)、天下を蓋(おお)いて、然(しか)る後(のち)に能(よ)く天下を容(い)る。
 信(しん)、天下を蓋いて、然る後に能く天下を約(やく)す。
 仁(じん)、天下を蓋いて、然る後に能く天下を懐(なつ)く。
 恩(おん)、天下を蓋いて、然る後に能く天下を保(たも)つ。
 権(けん)、天下を蓋いて、然る後に能く天下を失(うしな)わず。
 事(こと)(あ)りて疑(うたが)わざれば、則(すなわ)ち天運(てんうん)も移(うつ)す能(あた)わず、時変(じへん)も遷(うつ)す能(あた)わず。
 この六つのもの備(そな)わりて、然(しか)る後(のち)に以(もっ)て天下の政(せい)を為すべし。
・・・・・・
天下を蓋うほどの器があってこそはじめて天下を許容することが出来る。
天下を蓋うほどの信頼確立することが出来て初めて天下の人々を集約できる。
天下を蓋うほどの仁があってこそ天下を手懐けることが出来る。
天下を蓋うほどの恩義をほどこすことができてはじめて天下の平穏を維持できる。
天下を蓋うほどの権力と均衡があってはじめて天下を失わないことが出来る。
事が起きて狐疑逡巡せず素早く行動すれば天運が他の人物に向くこともなくなり、
急激かつ予想外の変化に追いつけないなんてこともなくなる。
この六つの要素が備わってこそ、
天下の統治を担うことが出来る。

字面だけを見ると実におおらかな人柄の人物にこそ天下と天下を構成する人々はつき従うのだ~、
という感じになりますが、
そこは六韜、
字面がキレイだと裏がエグイ。

こと天下の人々を手懐ける「仁」については、
字面通りで儒学チックな「思いやり」という意味よりも、
六韜最初の篇たる文師篇での「仁」、
人材への支払いという意味合いも強いので、
上の六つの要素は人格面やリーダーの能力だけというわけでもなく・・・。
さらに六つのうちの大、信、仁、恩、権についても、
これらは相対的なもの、
打倒目標となっている相手が落ちていけば、
コチラがそれらの要素で勝っていくという意味でもあり、
やはりその辺は前回までの文伐篇での敵国への内部工作が重要になり。

敵の王を暴走させて器を失わせてコチラの王の器を天下にアピールする(大)
敵の王に貴族や民衆を痛めつけさせてコチラの王に信頼が集まるようにする(信)
敵の王が重税をかけるわりに臣下に配らなくなったらコチラの王が配って人材と民衆を味方につける(仁)
敵の王が容赦なく圧政を強いるようになればコチラの王が新たに秩序を取り戻すと噂を流す(恩)
敵の王の横暴と好き放題によって権力の実効性と国力の均衡が崩れてコチラに有利な事態が表面化する(権)
そして、
敵国の内部崩壊がついに表面化したところで素早く行動し、
予想外の事態が起こる前に全てを手に入れる。

「文伐」のように敵への工作のみならず、
その工作を実行するための資金や国力の充実、
評判をよくするための宣伝、
そういったことをやるのも大事で、
ニッコロ・マキャベリのように、
権謀術数の専門家と言われる人物でも、
君主論政略論戦術論を通して軍事強化と善政と民衆を味方につけることを最優先事項にしているわけで。

順啓篇 抜粋2・・・
・・・・・・
天下を利する者は、天下これを啓(ひら)き、
天下を害する者は、天下これを閉ざす。
天下を生かす者は、天下これを徳とし、
天下を殺す者は、天下これを賊(ぞく)とす。
天下を徹(てっ)する者は、天下これを通じ、
天下を窮(きゅう)する者は、天下これを仇(あだ)とす。
天下を安(やす)んずる者は、天下これを恃(たの)み、
天下を危(あやう)くする者は、天下これを災(わざわ)いとす。
・・・・・・
天下の人々に利益を与える者には天下の人々が野望の道を開いてくれる。
逆に天下の人々に害を与えるならそのものの野望の道を閉ざす。
天下の人々の生業を保証する者には天下の人々はそれを徳とし、
天下の人々を虐殺する者は天下の人々はそのものを凶賊とみなす。
天下の事物を徹底して調べ上げる者には天下が通り道を示し、
天下の事物を全く分かっていない者には天下が敵となる。
天下に安定をもたらす者には天下の人々が頼りしてくるし、
天下に危機をもたらす者は天下の人々が災いとして認定する。

工作でもって敵国に悪手を打たせながら、
コチラは敵国の代替となるように存在感を示し、
民衆の心をゲットする。
それを事情を知らない人間の距離から遠巻きに見ていると、
さも天下の人々が大いなる意志の下にコチラに進んで味方になっていくかのように見え、
敵国が徹頭徹尾悪一色で自分から自滅していくように見せる。

敵国の王が自身の利益だけを優先して民衆を害すれば、
コチラが代替するように利益を民衆に与え、
敵国の王が民衆の生活を脅かすように仕向けたら、
コチラが民衆の生活を保証する。
敵国の王が外部状況を見えないようにして、
コチラはあらゆる情報を手に入れて分析をかける。
最終的に敵国を天下の人々を危機に陥れる存在にし、
コチラを天下に安定をもたらすものとして演出する。

文伐が敵国王宮といった政治や統治機構の中枢を狙うものなら、
それ以外にも民衆に向けての宣伝や工作やバラマキが必要。

順啓篇 抜粋3・・・
・・・・・・
天下は一人(いちにん)の天下に非(あら)ず、
(た)だ有道者(ゆうどうしゃ)のみこれに処(お)る。
・・・・・・
天下は一人の物ではない。
道をわきまえた者だけがそれを分かっていて行動できる。

文師篇でもありましたように、
天下は一人のものではない、
生業にいそしむ人々のものであり、
天下を手に入れるということは、
人々の生活を保証しなくてはならず、
王に天下を取らせるために働いた人材に充分な支払をしないと支配を維持することもできない。

ココでは「有道者」がそれを分かっている、
という表現になり、
この表現が使われると、
儒学にあっては儒学が認定して道徳をわきまえた素晴らしい人格者になり、
老子にあっては世界の道理としての「道」をわきまえた高い能力者、
ということになり、
老子式では人格や常識からかけ離れている人物でもあり、
六韜においては文師篇文伐篇4にあったように、
人は利益を好んで罰や危害を嫌がる、
という人の性質を知り尽くしているということであり・・・。

仁徳の裏にも計算尽くしの計画があるのだという六韜の認識がココでも強調されたりで。


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