六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第23回 「武韜4、文啓篇1、情報工作の機密性のために必要なもの」


六韜の二巡目、始めました。
まずは現在は二つ目の武韜に入っております。

『六韜』二巡目
23回
武韜4 文啓篇1


今回から文啓篇に入ります。

毎度定番であります文王による太公望への問いは、
「聖人は何を守る」というもので。
・・・何を聞こうとしているのか?
と問い返したくなる曖昧な質問で。
こういう大上段の質問ってだいたい建設的な話にならない印象が強いのはなぜだろう?

六韜内における聖人は、
儒学の聖人認定されている古の立派な人物とも一部かぶるものの?
どちらかと言えば能力面を重視する老子式の聖人、
宇宙と自然を貫く普遍の原理たる「道」と一体化したスゴイ能力の人物に近く、
守国篇にありますように乱世を治められるぐらいにスンゴイ能力を持った人物。
思えば、
マッキンダー卿が語られた秩序をもたらす者としての真の意味での組織人(オーガナイザー)に近いとも言えるようで。

そんな聖人が守ること大事にすることこだわるは何か・・・。
とりあえず、
太公望は老子式の聖人の如くそもそもからして特定のものにとらわれないのが聖人、
ということを語ります。

文啓篇1 抜粋1・・・
・・・・・・
太公(たいこう)(いわ)く、
「何をか憂(うれ)い何をか嗇(おし)まん。
 万物(ばんぶつ)(みな)(う)
 何をか嗇(おし)み何をか憂(うれ)えん。
 万物 皆 遒(あつ)まる。
・・・・・・
聖人というのは、
何も心配せずに何にもこだわらずに全てを得て、
何のこだわりも心配もなく、
全ての物が向こうから集まってくるものである。

六韜式の聖人というのは、
何を守るでも心配するでもこだわるでもない。
それでいて全てを手に入れる。
それも、
自然と向こうから来る形で手に入れる。

これだけ聞いたら仙人のように超人的な要素を感じさせますが、
情報戦による水面下での戦いを重視する六韜。
その前提でいくなら、
天下奪取を目指すなら、
自然と全てが手に入るように演出しなさいよ、
というなんとも即物的な話になってしまうわけで。

これまでの人材集めや集団の維持のための支払や小目的の調整についても、
ちょっと離れたところから見たら自然ととんとん拍子に人材が集まって一生懸命無条件で働いてくれているように見えるようにしろということもであり。

自然と全てが向こうから集まるように見せる、
世界がどうやって回っているかを認識しろとして、
文啓篇では老子式の「道」の説明の如く、
世界のサイクルの概要が説かれております。
全文入れるとワケ分かんない文が続きますんで、
ちょっと要約しますと・・・

世界というのは循環するが如くゆっくりゆったり変化しながら同じことを何度も繰り返し終わりがない。
そういったサイクルを我がものとしたならばサイクルについての秘密は隠さないわけにはいかず
体得できてしまえば自らの目的達成のために実行に移さざるを得なくなるだろう。
そして実行に移したならば手の内を全ては明かさない。

老子式の宇宙と自然を貫く普遍の原理「道」に近い話ですが、
老子では道は体得も理解も出来ないというのがデフォだったのに、
六韜では体得できるということになっていて六韜と老子では決定的に違い、
「道」の次元が違うのだろうなと。
とにかく文啓篇においては、
世界のサイクルが分かれば目立たぬ工作を進めやすくなる、
ゆえに世界の構造に合わせての自然な工作をせよということが分かりにくい文で強調され、
手の内についても工作についても明らかにしないようにする。
情報戦における機密性の重要さもまた遠回りに語られたりで。

文啓篇1 抜粋2・・・
・・・・・・
それ天地は自(みずか)ら明らかにせず、
(ゆえ)に能(よ)く長生(ちょうせい)す。
聖人は自ら明らかにせず、
故に能(よ)く名 彰(あらわ)る。
・・・・・・
天地はその構造を全てひけらかすことはないからこそ長く存在し続けている。
聖人というのは自ら全てをひけらかすことがない、
ゆえにその名声が響き渡る。

世界の原理を研究する探究分野から派生した科学の発達でもって、
自然が次々と破壊されていくことを見ると、
天地長生についての文も遠いわけでもなく・・・。

情報戦における工作、
そのための手の内が敵に知れ渡れば、
それだけで工作の価値は一気に落ちる。
孫子内の情報戦のようにダブルスパイ式に逆襲が発動して情報網が丸ごと無力化しかねず、
それどころか敵にコチラへの大々的な攻撃の口実を与えてしまう。

手の内を明かさない、
知られないようにする。

とかく情報戦を展開するにそれぐらいの演出と機密性が必要で。
工作を気付かれないようにするには、
世界の構造と流れを把握して自然な動きに同調するように動かないといけない。

ちょっと昔のビジネス書の言葉を強引に借りれば、
鳥の眼としての俯瞰と、
魚の眼としての流れを知って、
はじめて虫の眼としての各所のスパイが自然に浸透することが可能になる・・・。

なんともまあ、
それを難しい文で説明してくれるのが六韜で。

文啓篇もしばらくかかります。


当ブログではブログそのものの継続、
並びにさらに多くの戦略書を紹介しブログの内容を向上させるために寄付をお願いしております。
このブログを継続させるためにチップを贈る