六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第22回 「武韜3、発啓篇3、仕込みは時間をかけて」


六韜の二巡目、始めました。
まずは現在は二つ目の武韜に入っております。

『六韜』二巡目
22回
武韜3 発啓篇3


現在は、
六韜の二番目の「韜」であります武韜に入り、
その武韜の中で最初の篇である発啓篇をやっております。

前回は同篇内において、
目的のために集めた集団をまとめ上げるための、
それぞれの小目的の調整の難しさとともにリーダーによる利益独占厳禁が強調されました。

今回は発啓篇の最後、
なんともおかしな言い回しの文が続きます。

発啓篇3 抜粋1・・・
・・・・・・
民に取る無き者は、民を取る者なり。
民を取る無き者は、民 これを利す。
国を取る無き者は、国 これを利す。
天下を取る無き者は、天下 これを利す。
・・・・・・
民衆から奪わぬことはその民衆を得るということである。
民衆から奪わぬ者には、民衆が利益を与える。
国を奪わなければ国が利益を与えてくれる。
天下を取らぬ者は天下が利益を与える。

字面だけを見るなら何を言ってるのかサッパリな文章になりますが、
文韜の国務篇では民から奪わないことが民に与えることだ
という話がありましたので、
上に立つ者にあって民から奪わない者は恩恵を与える者であり、
それは民衆の生活生業を保証する文師篇の「徳」でもあり・・・。
コチラの損すら我慢できれば民衆の人気を取るには一番手間がかからない。

そこから国へと拡大するのはちょっと飛躍がデカイなあ、
なんて思ったりもしますが、
三十六計反客為主というものがあり、
敵として相手国に侵入してそこで自分達が正当な支配者となるに、
あの手この手で現地の民衆の支持を獲得して、
敵の奪還作戦が展開される頃にはなぜか防衛側になるという、
そういう戦略があり。

上の文も、
侵攻先の地域の民衆を先に味方にすることで、
国を奪うのではなく味方として入るのだということにして、
地域獲得の戦いを最小限にする。
そういった人気取りが順々に敵国中心にまで成功していけば、
最終的に敵国の天下を得たのと同然の状態となる・・・。

発啓篇3 抜粋2・・・
・・・・・・
道は見るべからざるに在(あ)り。
事は聞くべからざるに在り。
勝は知るべからざるに在り。
・・・・・・
道は見えないところにあり、
事実は聞けないところにあり、
勝利は方法も理由も知ることができないところにある。

自国の領土が次々と敵に道を開く。
侵略される側から見れば緊急事態な上に謎の事態。
何が起こっているのかと大混乱。

六韜の前提で行けば、
既に事前の宣伝工作と現地の統治機構にまでスパイが入り込んでの情報戦でもって、
その地域におけるコチラへの敵対心と抵抗力を奪いつくして、
既にその場所はコチラの国の一部の状態にしてしまう。
軍隊が入った時にはその状態が完全固定したということを示すとともに、
初めてそれが表面化・・・相手国の知るところとなる・・・。

とはいえ、
いかに浸透工作をやろうとしても、
そう簡単に民衆の人心が転ぶわけもなく、
やはり前々回の相手国内での天災と失政による民衆の乖離という、
相手側の失点もそれなりに必要になったりで、
天災を探しだすには広く宣伝戦の網が敵国内に広がっていないといけず、
失政を誘発させるためには敵国中枢にまでスパイを作らないといけない。

そういった計画は短期間では成功せず、
長い期間と人手が必要。
六韜の舞台設定でもある殷周戦争では、
周(西伯侯)側の工作で表面化したのは妲己を紂王に送り込むところから。
しかし、
その前段階の準備で妲己の育成から妲己の出身一族の買収まで、
既に仕込みは始まっていたとして、
ホントは文王どころかその前の段階から工作は始まっていたやもしれず・・・。

それだけ長い時間をかけて準備していれば、
さながら殷の衰退イタシカタナシというように、
民衆の間でもすんなり崩壊が認識されるようにもなり・・・。

発啓篇3 抜粋3・・・
・・・・・・
聖人 将(まさ)に動かんとすれば、
必ず愚色あり。
今、かの有商(ゆうしょう)は・・・
・・・・・・
聖人が今にも動こうとする時には、
必ず天下に愚かな行いが満ちている。
今はあの殷の紂王なぞは・・・

天下が乱れた時に初めてスゴイ能力を持った聖人が表舞台に現れる、
というのが守国篇の話で。
その乱世を作っていたのもその実、聖人であったとは当然六韜でも言えるわけもなく、
いかに乱世をおさめにきた聖人だというように繰り出せるかが大事となり、
殷周戦争にあっては、
表の評判は文王と武王が引き受け、
汚れ仕事としての工作は素性怪しげな太公望が評判を引き受ける・・・。

ちなみに上の文の続きには、
紂王の治世についての太公望のダメ出しが語られております。
遊び放題の紂王のせいで生産は落ち込み、
民衆は反目し合い、
役人は汚職だらけで、
誰もその状態をいさめることが出来なくなってます、
という太公望による殷の評論が続いており、
今こそ文王が聖人として立つべきだと強調・・・・・・。
まあ、文王は殷へと直接攻勢をかける前に死んでしまいますがね。

次回から次の篇に入ります。


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