六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第17回 「文韜17、賞罰篇、手間もコストもかけたくない、一賞百勧・一罰百戒・信賞必罰」


六韜の二巡目、始めました。
まずは最初の文韜の最初から。

『六韜』二巡目
17回
文韜17 賞罰


今回は賞罰篇、
中華兵法ではお馴染みの賞罰。

軍隊と一言で言っても、
貴族の将校や、
農民からの徴兵、
流民の糾合、
異民族の合流まで、
国への忠誠や認識の統一といったところまで、
なかなか一体感がとれないという前提だったのが、
古代から中世の中華軍史。

平時の教育から軍事教練までを入れた近代軍式の一体感なんて概念はなく、
バラバラの存在をまとめ上げなくてはならず、
その際には、
積極的な行動を促すのが賞、
勝手な行動を律するのが罰、
ということで、
この賞罰が軍隊の運用にとても重要になり。

孫子・呉子司馬法尉繚子というように、
春秋戦国時代にそれぞれの時代背景や特定の国家の事情を反映して、
それぞれ賞罰の運用方針が違い、
六韜もまたそういった事情や背景が微妙に違っております。

とりあえず六韜の中でも戦場からまだ遠いところを語る文韜、
ココで語られる賞罰は国家統治のスケール、
それも側近や官僚機構どころか民衆の生活レベルにまで及ぶお話で。

賞罰篇 抜粋1 ・・・
文王、太公(たいこう)に問いて曰(いわ)く、
「賞は勧(かん、すすめ)の存(そん)する所以(ゆえん)にして、
 罰は懲(ちょう、こらしめ)を示す所以なり。
 吾(われ)
 一(いつ)を賞(しょう)して百を勧(すす)め、
 一を罰して衆を懲(こ)らさんと欲す。
 これを為すこと奈何(いかん)
・・・・・・
文王が太公望に問うた。
「褒賞というのは人々にとってほしい行動をすすめ、
 罰則というのは人々にやってはいけない行動を示す。
 私は一つの褒賞でもって人々にとってほしい善いことを百はすすめ、
 一つの罰でもって人々に規律を与えたい。
 どうやったら出来るか」

何か結果や行動について王が賞を与えると、
多くの人間がそれと同じ行動をとり始めるので、
王が奨励したい行動があればそれを実行した者には賞を与える・・・。
そして、
取ってほしくない行動については罰を与える。
古代から中世にかけての世界の罰則規定は基本的に王様の利益を前提としている・・・。
とはいえ、
賞を与えるにも金がかかり、
罰を与えるにも手間と金がかかる。
なのでどちらも最小限にしたい。
というのが文王の言葉で。
ここに言われる一罰百戒というのは、
できるだけ手間をかけたくないという意思の表れで、
一賞百勧もまたそんなに金を払いたくないという意味でもあり。
ことに舞台設定の上ではこれから強大な殷に戦いを挑むのだなら、
金も手間も戦いに取られるのに、
その後の巨大になった国家の統治の始めにそこに金はかけられない。

そして、
太公望はそういった手間も金もかけずに、
民衆から官僚機構まで最小限の賞罰で都合よく統治するには、
という返答を行い・・・。

賞罰篇 抜粋2 ・・・
太公(たいこう)曰く、
「凡(およ)そ賞を用(もち)うるに信(しん)を貴(たっと)び、
 罰を用うるには必(ひつ)を貴(たっと)ぶ。
 賞 信ぜられ 罰 必ずさる、
 耳目(じもく)の聞見(ぶんけん)する所に於(お)いてすれば、
 則(すなわ)ち聞耳せざる所の者も、
 陰(いん)に化(か)せざるは莫(な)し」
・・・・・・
太公望は言った。
「だいたいのところ、
 褒賞を与える際には賞をもらえるという信頼が大事であり、
 罰則を適用する時には違反した以上は必ず罰を加えることが大事である。
 賞をもらえると信じられ、
 罰が必ず加えられるという認識がひろがれば、
 王の身近にいる人間のみならず、
 王を見たこともない人間ですら、
 こっそり悪事を働く者もいなくなるでしょう」

一言で言ってしまえば、
全ては信頼で成り立つ。
文師篇の人材への支払いをちゃんとやるとする「仁」もまた「賞」への信頼を意味し、
守土篇の内政の自浄作用を示す「刀」も「罰」への信頼を意味し。

奨励されたことをやったら賞を与えるとおふれが出ても、
ホントに与えるかどうかを人は見ており、
褒賞が与えられなければ民衆も官僚機構も賞につられることがない。
また、
法に触れることをやっても必ずしも罰が加えられないと分かると、
法を守る者もいなくなる・・・。

条件を満たしたら絶対に賞を与えないといけない、
という点については、
韓非子内のエピソード集では、
呉子の呉起ィさんが王のために動く民衆がいないという相談を受けた時に、
市中にただの角材をたてかけてそれを城外に持って行ったら邸宅をやると御触書を置いたことがあり。
人々がホントかよなんて見てて誰か一人が期待もせずに城外に運んだらホントに邸宅を与え、
それ以降、賞を付けたお触れ書きについては民衆は我先にやり始め、
どんどん与えられるものが少なくなっていってもその傾向は長く維持され、
それもまた国による賞に対する民衆への信頼を上げることができたから。
とかいうものがあり。

そこから少し変化球を加える形で中華の逸話で有名なのは「まずは隗より始めよ」の逸話で。
人材難であった国が人材を重く用いるとふれまわった後に、
周辺国から見たら大したことなくてもその場で一番という人間(隗)が重く用いらることになり、
あんな奴でもあの扱いなら俺ならもっと、
という認識が周辺国に広がったことで次から次へと人材が集まった~。
なんて話になり、
ホントに重く扱われているということが分かったからこそ人材が集まって、
ただスローガンのように言ってるだけだというのなら疑いをもってしか見られない・・・。

上の太公望の言葉ではあくまで最初の最初、
国を殷から奪った直後や建国初期段階を想定した言葉でもあり、
マキャベリの君主論内での残酷の正しい使い方のように、
最初の衝撃でもっての信頼による畏怖で人々はとりあえず従う。
しかし、
その後の何代もの王が信頼を得続けるには、
人々や官僚機構が奨励されていることをやったか法に触れることをやったかについて常に監視しておかないと信頼維持は難しく、
王にとって都合がいいからと奨励することをちゃんとやる民衆はほっといて、
ちょっと面倒だと罰を与えるべき存在もほっといたら、
あっというまに代を重ねた王朝は信頼を失ってしまう・・・。
古代から中世でも情報機関を用意していれば常時監視は出来ないわけではなくともその組織にコストがかかるし暴走もしやすいということでなかなかずっとやるのは難しい。
なので手っ取り早いのが、
代替わりした時に新王が最初に賞の信頼獲得をやって罰たる旧弊の排除をやること。
ただ、
そうなると長い統治の王がいたり名君がいたりすると次の王が大変ということになったりで。
名君が出るとその後は王朝が衰退するというのもまた大陸中華史の定番パターン。

現在の大陸中華の支配体制が最新技術総動員の徹底した監視体制下に置くしかないのは、
いまだに体制側から見た民衆への見方が六韜の成立年代はおろか、
古代から変わってないからとも言えて・・・。



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