六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第11回 「文韜11、守国篇、循環変動する世界で」


六韜の二巡目、始めました。
まずは最初の文韜の最初から。

『六韜』二巡目
11回
文韜11 守国


文王の問いに太公望が答えるという形式の六韜。
今回もまた
「国を守ること奈何(いかん)
という篇題そのまんまの質問を文王からされる太公望。
前回までの守土篇と同じような内容かと思ったら、
「国」という概念が近代国家のそれとまるで違うのか、
太公望の答えは六韜内でもトップクラスのあやふやなものとなっており・・・。

とりあえず質問を受けた太公望はすぐには文王の問いには答えず、
身を清めて七日後にやって来い!
ということを言い、
七日後、
太公望は文王に対して、
天地の経(けい)、四時の生ずる所、仁聖の道、民機(みんき)の情、
といったことを語り出し、
統治者としての心構えを教えようとする・・・。

天地の経と四時の生ずる所については、
~~~~~
天が四季を生じさせて大地からあらゆるものが生まれ、
民衆を聖人が統治している・・・という世界のざっくりとした構図が語られ、
四時を四季のこととして、
春にあらゆる事と物が動き出し成長をはじめ、
夏にその成長はピークに達し、
秋にそれの成長は収まりを見せてあらゆる物が最も多く残り、
冬に全てが姿を消して天下は静まりかえる。
~~~~~
それはまさに・・・
守国篇 抜粋1・・・
・・・・・・
(み)つれば則(すなわ)ち蔵(ぞう)し、
(ぞう)すれば則ち復(ま)た起こる。
終わる所を知る莫(な)く、
始まる所を知る莫し。・・・・・・

物にあふれれば全ては消え、
全てが消えたと思ったらまた生まれる。
それは終わることなくいつ始まったか知ることも出来ない。・・・・・・

そういう動きを見せるのがこの世界だ、
という構図の説明・・・。

だからなんだと言われればそれまでの説明。
老子のように宇宙や自然を貫く普遍の原理としてのに近い言い回しながら、
殷打倒という舞台設定を借りた簒奪併呑の書という前提のある六韜がそんなことを言って終わるわけもなく。
終わることなく生滅を繰り返す神羅万象、
その循環のような動きはいつ始まったか分からぬほどに終わりなくこれからも未来に向けて続くものの?
生まれたものは間違いなく消滅するのも確かで、
日本では盛者必衰で有名なように、
天下に終わりなくとも人間の作り上げたものには必ず終わりが来る・・・。
それは、
安定が混乱で終わるのも同じで。

春に生まれ夏に成長し秋にピークを迎えた後に冬に大地から大量の動植物が姿を減らす、
生まれて消える、
そのサイクルは変わらないのに、
少しだけその程度が例年より悪くなると、
生産力が高くなかった古代から中世においては食糧不足が簡単に生じて安定がたちまち混乱へと変わる・・・。

混乱の時に聖人が活躍する場が生まれる・・・。

守国篇 抜粋2・・・
・・・・・・
天下 治(おさ)まれば、仁聖(じんせい)(かく)れ、
天下 乱(みだ)るれば、仁聖 昌(さか)んなり。・・・・・・

天下が安定して収まっていれば聖人は表舞台から姿を消し、
天下が乱れれば聖人が表舞台で活躍する。

六韜において語られる聖人は、
文王というキャラを使ってるだけに、
儒学における儒学者認定の道徳心にあふれた人物、
という意味合いもあれば、
老子式の凄い能力を持った人間という意味合いのほうが強かったりで。

老子式の聖人で行けば、
その基準が宇宙と自然を貫く普遍原理としての「道」となるので、
人間が勝手に作った約束事である世間の道徳や常識とはかけ離れていることもあり、
ゆえに
三国志の曹操でお馴染みの「乱世の奸雄」だったり、
日本の戦国時代では梟雄だったりと、
秩序と安定を取り戻したという実績だけなら、
どんな人品でも聖人認定されることがあったりで。
さすがに格調高さを誇る上に成立時代が安定していた時代である可能性が高い六韜だけにそこんところは抑えたかったのか、
文王というキャラを使っているということもあるだけにブレーキをかけるように「仁聖」という、
人格面も考慮に入れた表現になっていると言われることもあるとかで。

とかく不安定な世になった時に、
スゴイ能力をもった人物が表舞台に現れて秩序を取り戻す。
これは、
殷の紂王によって不安定となった事態を文王が再び安定させるということを示唆してもおり・・・。

守国篇 抜粋3・・・
・・・・・・
民 動きて機を為(な)し、
機 動きて得失 争う。
(ゆえ)にこれを発するにその陰(いん)を以(もっ)てし、
これを会(かい)するにその陽(よう)を以てす。・・・・・・

民衆が動揺して生存のために様々なたくらみやごまかしを行い、
たくらみやごまかしでもって奪い合いを始める。
争いにまで発展した事態を収めるために陰の手法を使い、
天下の人々を落ち着かせるために陽の手法を使う。・・・・・・

安定が失われた世界では、
民衆が生存のために知恵をひねり争いを起こす。
それは老子式の考えでいけばとても自然なことであり、
マキャベリ式には人間の力がフルに発揮されていることでもある。

聖人は秩序最高性と安定実現のためにその争いを止める必要があり、
その手法として既に起きた争いや起きようとしている争いには「陰」で応じる。
この「陰」については武力を伴う非常手段全般と言われ、
戦争から情報戦による暗殺まで、
直接の関係者以外全容を見ることが出来ないとされている手法でもって流血覚悟で争いを強引に終わらせる。
その時は国務篇のように出来るだけ小さな規模で終わらせられるように、
情報戦段階の暗殺を積極的に行うという傾向もあるそうで。

混乱でもって不安な気持ちになっている民衆に対しては「陽」
ほどこしやバラマキや減税や賦役免除でもって生活を保証することで安心させる。

ココで大事なことは、
混乱というのはピークに達する時もあれば、
四季の夏から秋、秋から冬にかけてというように、
ピークからおのずと収束する気運があるということで。

守国篇 抜粋4・・・
・・・・・・
(きわ)まればその常(じょう)に反(かえ)り、
進んで争うことなく、
退(しりぞ)いて遜(ゆず)ることなし。・・・・・・

世の中が極端な事態にまで発展すればそこから元の状態に戻るもの、
王様は進んで争いに参加する姿勢ではいけない、
かといって、
仮に退くことはあっても敵に譲り渡さぬ姿勢でいるべきである。

混乱がピークに至ろうとしているのか、
ピークから落ち着くところへ行こうとしているのか、
その辺りを見て、
王様というのは、
ピークに至ろうとしているところに下手に刺激するような手を打ってさらに混乱を拡大させたり、
積極的な争い、主に戦争などの大々的な手法にすぐに飛びつくなんてこともなく、
仮に情勢不利となって多少の損害を覚悟して後退することはあっても王権を譲り渡すなんていう白旗をすぐにあげるなんてことはしてはいけない・・・。

仮に大規模な反乱や侵略を前にしても、
長期に渡れば物資の供給が安定して続くのは自国内をまとめている側で、
クラウゼヴィッツ校長の戦争論内での国内退却よろしく生産拠点の集まる要所の陥落を防ぎさえすれば反乱側が弱体する可能性が出てくる。
後は気運が少し萎えたところで軍事的に敵を粉砕しつつ民衆を大事にする政策を示して敵側の信頼と人員を削いでいく。

逆に言えば、
殷打倒に動く文王サイドからすれば、
混乱を長引かせるためには紂王にはさんざん下手をこいてもらいたいところで、
その下手がココでは殷による周辺への軍事行動を積極的におこなってもらうことであり、
ついでに妲己を使った国内統治の混乱強化と生産拠の集中した要所を重税でもって自滅させることでもあり。

殷周戦争では周側が攻撃でもって殷の生産拠点を取ったというよりも、
周は周で西伯侯の広大な領地という独自の領地の生産力を維持しつつ、
紂王の豪遊姿勢を暴走させ続けて重税によって食糧生産を停滞させるということでもって、
地力の相対的な不利を小さくして長期戦を可能にしたということで。
敵の生産力を減少させてコチラは維持する、

敵国も自国も循環しかつ変動する世界の中で、
いかにその循環と変動を正確に把握しながら、
民衆の混乱となる事象を抑えつつ、
いかに相手国を混乱に対処させないようにするか裏から手を回しまくり、
それでもって相対的に不利になったほうが国を守れなくなる。


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