六韜 二巡目 『 目指すは簒奪併呑』 第10回 「文韜10、守土篇3、国を崩せる民衆、王位を狙える王族」


六韜の二巡目、始めました。
まずは最初の文韜の最初から。

『六韜』二巡目
10回
文韜10 守土篇3


名言らしいこといっぱいながら、
前後のつながりがちょっと面倒、
そんな守土篇、
今回でようやく最後。

しかも話が前回までの流れと微妙に変わり、
文王が唐突に「何をか仁義と謂(い)う」と新たな問いをし、
話は仁義に移る・・・。

六韜における王にとっての仁と義と言えば、
文師篇においては「仁」は「人材への支払い」、
「義」は「王と人材と民衆における意識と目的の共有と王の信望獲得」、
・・・という意味合いでしたが、
これが「仁義」という一つの二字熟語となるとまた意味合いの違うものになるそうで。
こういうのって意識し出すとまあ頭がこんがらがる・・・。
さすがは白馬は馬ならずという言葉を残した文化圏だけある。

とりあえず太公望は、
「仁義」とはどういうものかという説明を始め、
それはこれまでの言葉の言い換えでもあり・・・。

守土篇3 抜粋1・・・
太公(たいこう)(いわ)く、
「その衆(しゅう)を敬(けい)し、
 その親(しん)を合(がっ)す。
 その衆を敬(けい)すれば則(すなわ)ち和(わ)し、
 その親(しん)を合(がっ)すれば則ち喜ぶ。
 これを仁義の紀(き)と謂(い)う。・・・・・・

民衆を甘く見ておざなりに扱うことなく敬うように接し、
王の親族を団結させる。
民衆をちゃんと扱えば国全体が調和し、
王族を団結させることができれば喜ばれる。
これが仁義の基本である。・・・・・・

六韜の国内統治おいては、
統治対象となる集団を大きく三つに分けており、
それが、
王の親族となる王族、
王が登用する人材、
そして民衆。

「衆を敬する」には、
民衆を大事にしましょう、
という意味以上に、
甘く見たら王様すらエライ目に遭うぞ、
というぐらいに警戒対象でもあり、
国務篇におきましては、
古代中華から中世中華にかけての認識でもって、
いったい何をやったら民衆を怒らせるか、
何をやらなかったら民衆に与えることにになるのか、
ということが語られ。
六守篇の王の三宝もまた民衆の生活保証が前提になっていたりで。

そして、
「親」という、
王に近い割に必ずしも人材のように有益ではなく、
むしろ平時戦時に関わらず王位を狙う定番である王族。
ある意味厄介もの以外でも何でもなくとも?
金をばらまいてでも大事にすることが強調されるのが守土篇の特徴で。

国を崩せる民衆、
王位を狙える王族、
この二つを怒らせないことこそが「土を守る」ということであり
その基本方針が「仁義」という・・・、
この篇はやっぱり王朝的な視点であり、
皮肉というか民衆の怒りと王族内の対立でもって表面化したのが欧州の仏革命だったりで。

守土篇3 抜粋2・・・
・・・・・・
人に汝(なんじ)の威(い)を奪(うば)わしむる無(な)かれ。
その明(めい)に因(よ)り、
その常(じょう)に順(したが)う。・・・・・・

王様の権威を奪われるようなことがあってはいけない。
見えぬところまで見通して分かったことから、
その実状に従って対処する。・・・・・・

「汝」というのは質問した文王のことであり、
もしも場面が明伝篇から続いているなら、
一言も発してないとはいえ?後の武王の姫発も含まれる・・・。

「威」というのは王の権威でもあり、
同じ守土篇でも前回でてきた「利器」、前々回に出て来た「国柄(こくへい)」を、
さらに拡大したものが「威」と見てよく。
王権そのものが奪われないようにする、
それは王位を奪われないようにするのと同様に、
前回少しありました、「借」を「かりる」ではなく「かす」との意味で読むのに象徴されるように、
勝手に王命と偽って王権を利用する奴がいるから注意しろ、
ということでもあり、
民衆からの怒りや王族からの突き上げや分裂があれば信頼が失われて王の威すら失うことになる・・・。
なので、
「明に因る」というのは、
大礼篇の王の目・耳・心といった情報収集監視機関を使って官僚組織のみならず民衆や王族の動きもよく見ろとなり・・・。

「常に従う」というのは、
盈虚篇にてチラと使われた表現たる老子式の「無為に従う」と似ていて、
大々的でことさらな手段に寄らずに、
最小限で的確な動きでもってそういった問題に対処する・・・。

とはいえそれは王が甘く対処してやるということではなく・・・。

守土篇3 抜粋3・・・
・・・・・・
(したが)う者はこれに任ずるに徳を以(もっ)てし、
(さから)う者は逆(さから)う者はこれを絶つに力(ちから)を以(もっ)てす。
これを敬(けい)して疑う勿(なか)れ。
天下 和して服す」

王に従う者に仕事を任せる時は徳を行い、
王にさからう者には武力でもって命脈を絶つ。
民衆と相い対するなら見下してはいけないが疑いの目で見てもいけない。
それができれば、
天下万民は調和して王の前に服従する。

王に逆らう存在には武力でもって応じる・・・。
三族どころか六族・九族皆殺しとかホントにやる文化圏だけに、
この言葉はただの威圧や一部逮捕で済む話ではないので、
その重さを日本的に受け取ると大きく大陸中華を見誤ることになり・・・。
それを批判したのが意外にも重罰原則の尉繚子だったんだからまあコレが。

こと従順な相手には徳を以てということについて、
ココに言われる「徳」は文師篇の民衆に対する「徳」とも言えて、
生活における不安をなくしてやるということでもあり、
六韜における生活保証というのは国務篇であったような、
民衆・・・特に農民から税金と称してあんまり奪わない、負担も過度にさせない、ということで。
マクロで言うなら六守篇の三宝のように農(生産)・工(製造)・商(流通)を停滞させないということ・・・。

名言いっぱいの守土篇、
これにて終わりまして、
次回は次の篇に進みます。


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